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オリジナル創作の小ネタ置き場
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ミコと番人

 国を一望することができる小高い丘にあるこの大木は、この国で御神木と呼ばれているらしい。"らしい"っていうのは、御神木と言われてるわりにはそれらしい力を感じないからなんでそう呼ばれてるんだかよくわからない、という意味で。
 枝に腰掛け体を預けていた太い幹の隣で、ぴゅいと鳥が鳴く。手を伸ばせば触れそうな距離に居たから、ちょっとした気持ちで動かした腕が持ち上がる前に蜂蜜羽根の鳥は登り始めた太陽の向こうへ飛び立ってしまった。目を細めてその姿を見送る。あの空が青空だったらとても映えていただろう。
 御神木の上。そんな神聖(なのだろう)な場でだらりと体を投げ出している一人の男は然程残念そうな声色でもない様子で欠伸を1つ。
「逃げられちゃったねぇ」
 風の音、揺れる葉、鳥の声、どれもが穏やかなもので。平和なのだと錯覚してしまいそうな、緩やかな時間の流れを感じていた。
 ──時間なんてわからないくせにねぇ。
 自嘲するエルは、組んでいた長い足を崩しひらりと葉が舞うように静かに木から降りた。さっき朝を告げる鐘が鳴っていたからそろそろやってくる頃合いだ。




 一人の子供がいる。
 この国に縛られ小さな体には余る力を宿してしまった子供が。
 誰からも真名を呼ばれないその子供は、昨夜もまた、月神としての役目を果たそうと夜が明けるまで祈りを捧げていたのだろう。

 いつだったか、眠りたくないとその子供は小さな声で呟いた。
 ひとりだから、目を閉じるのが怖い。目を開けられなくなってしまう。
 小さな手を震わせていた。




「それでねー、西の国から届いた楽器がねー。あっ!」
 少し陽が昇ったばかりの頃。
 鈴のように弾んだ声が遠くから聞こえてくる。二つの人影の内、小さな一つがエルに気付くと草を踏み分け駆け出した。
「エル!」
「お疲れ様、ミコ。昨日も素敵な月が出ていたよ」
「んふふー良かったぁ」
 水色の法衣と装飾された金細工を揺らし近付いてくるのは、淡い新緑の髪を持つ少女・ミコだ。
 彼女はこの国で最も優れた魔力を所有し、先代から受け継いだ月神の素質を持つ唯一の人物である。正式な継承の儀はまだ執り行ってはいないが、ミコ以外に月神に成りえる人物がいないこの国では実質上月神は既にこの少女であった。
 月神であるために半ば隔離された生活を強いられながらも、勤めを果たそうとする少女の姿を知るエルは心の内を隠しながら表面に笑みを張り付けるしかない。
 ミコからの報告を受ける内に、音もなくエルの隣に並んだ男の髪を風が撫でる。銀を遊ばせる男─カイは二人を静観している。
「お祈り終わってお腹空いたんじゃない?ご飯食べちゃおうか」
「うん」
 促されるまま御神木の根元に腰掛けるミコとその向かいにエル、立ったまま城下に視線を投げるカイ。持ってきた小さなバケットの中には小麦のパン二つと果物、陶磁器に入れられた水がありこれが彼女の食事だ。手を組み祈りを捧げてから食べ始めた。かぶり付いたパンを頬張り無言で咀嚼するミコを見つめるエルの眼差しは柔らかい。
 前に「教会の中で食べるとね、あんまり美味しくないんだ。ううん、ご飯の時だけじゃない、あそこにいると何だか悲しい気持ちになるの」とミコが言ったから「ならお祈りの後はここにおいで、僕たちはいつもここにいるから」と伝えた日から、ミコは毎日やってくるようになった。
 教会の人間はエルたちを気味悪がっているし、そしてエルたちが月神に対して危害を加える者ではないと知っているのでこの辺りは無視している。月神の役目さえ果たしていれば、ミコ自身さえも。
 その空気を、幼いながらにミコは感じ取っている。
 どうすれば認めてもらえるのか戸惑いながらも、少しでもこの国のために役立とうとするミコの居場所はない。
「エル、このパン美味しいよ!食べる?」
「いいの?じゃあ一口頂戴」
「はいっ」
 両親も居ないこの子供は当たり前のように大人から与えられるべき愛情を知らない。こうして共に食事をする相手もいなかった少女にとって、今の時間はとても穏やかなものなのだ。
 屈託のない笑顔でパンを差し出す姿は、どこにでもいる普通の子供で。だけど普通ではいられなかった子供で。
 かじりついた少しだけかたいパンの味は、エルには分からなかった。




 ミコは食事を終えると疲れから直ぐに眠りについてしまう。カイの体に寄り添うように身を寄せて眠る。ミコの食事が終わる頃にカイは少女の近くに腰を下ろし、後は黙って待っているのが常であった。
 今日もいつものようにカイが静かに座した頃、ミコが思い出したように声を出した。
「今日ね、二人に渡したいものがあるんだ」
「ん?」
 エルが首を傾げる。
 ミコは何やら胸元を探る様子で俯き真正面に座るエルに旋毛が向かう。
「えっとねー……これっ」
 ぱっと顔上げたミコの手には、首から下げられたチェーンに通される──二つの指輪。過度な装飾はない薄らと施された流線状の彫りのそれは、対となった造り。
 その指輪に、僅かに表情を揺らしたのはカイだった。
「ミコ」
「これね、わたしのお父様とお母様の指輪なんだ」
「……」
 指輪を眺めながら淡々と語る子供は何を思うのだろう。口をつぐんだカイはエルへ視線を投げると、エルはいつもの笑みを貼り付けたままであったが色が剥がれ落ちた顔でミコの手の中で揺れる指輪を見つめていた。
「お母様は絵でしか知らないし、お父様は絵も何も残されていないから、あんまりわからないんだけど」
 きらきらと控えめに輝く指輪は寄り添いあう。本来の持ち主を欠いた状態で。
「この指輪をね、エルとカイに持っててもらいたいんだ」
「だが、それはミコの…両親の大切なものだろう。俺たちに持つ資格は…」
「わたしが、二人に持っててほしいの。とっても冷たいの、この指輪。さみしいんだよ。わたしも悲しい、冷たい指輪は悲しいの」
 眉を寄せるミコにカイも言葉を失う。ずっと抱えていた不安を表すような悲痛な顔の少女にかける言葉が見付からなかった。
 月神のセレナ、月騎士のランサルシール。
 二人の記憶がないミコにとって、唯一両親との繋がりを持てた指輪。
 それが何れ程の意味を持つか、カイにだって分かる。痛いほどに。そして、それを贈ろうとしているミコの気持ちも。
「それに、二人なら似合うよっこの指輪!つけてみてほしいなーとか思ったり」
 沈んだ気持ちを払拭するようミコなりに笑ったつもりなのだろう、それでも幼子が作る表情では痛々しい。
「…ダメ、かな…?」
「…」
 美しく輝く対の指輪──自分がそれを受け取る資格があるのかと自問すれば、答は否。両親から遺された指輪を少女から離すことも戸惑われた。答えのない二人にミコがみるみる内に萎れていくが、それでも握り締めた手の中の存在をしっかりと胸に当てている。
 風に揺れる翠から覗く沈んだ横顔に、カイは眉を寄せた。

「ミコ」

 それまで黙っていたエルが静かに名を呼ぶ。
 優しさを込めた穏やかな声色は前月神と錯覚させるようだった。
 名を呼ばれそろそろと顔を上げるミコの前にエルは自身の左手を差し出す。白い手の甲と細い指を女のように滑らかな動きで揺らすエルを、ミコは大きな目で見つめている。
「指輪、ミコがはめてくれる?」
「……、うんっ!」
 最初はぽかんとした表情のミコもエルの言葉の意味が分かった途端にいそいそと首から指輪のチェーンを外し始めた。擦れる金属音を聞きながら、訴えるような視線のカイを視界の端に納めておく。──分かってるよ。ミコが僕たちに指輪を預けようとしてる意味。
 二つの指輪の小さなものが、ミコの手を借りてエルの指にはめられていく。それはエルのために誂えたように寸分の狂いもない。
「わーぴったり!」
「ふふ、似合う?」
「似合うー」
 己の薬指を飾る指輪をエルは目を細めて眺める。伏せられた睫毛が作る影。この顔を、見たことがある。
「カイにもはめてあげて」
「いいの?」
「いいよ。ね、カイ」
「…ああ」
 伺うように見てくる少女に、今度はカイが左手を。
 エルのものより一回り大きな指輪は、剣を扱うカイの指へはめられた。沁みるように馴染む感覚に男の眉が僅かに下がる。
 それも一瞬のことで、幸いにも目の間の少女には気付かれた様子はなかった。
 二人の指に新たな居場所を見つけた指輪はいつの間にか昇りきった陽に照らされ水面のように煌めいている。
「…きれいだね」
 両手にエルとカイのそれぞれの左手を乗せ、吐息に混じった小さな声。
「ほんとに、きれい」







 あの時のミコの顔を、こうして指輪を見ていると今でも思い出す。
 遺されたのはこの指輪だけ。
 自分たちがどう足掻いても、セレナたちの代わりにはなれない。なれやしないのだ。分かっていてもあの時ミコの願いを受け入れてしまったのは、結局のところ自分の甘さだったのだろう。
 
「    」

 あんなことを言われてしまっては、外せなくなってしまうではないか。否、もう外せなくなった。
 輝きを失わない指輪がはめられた左手を天に掲げて、エルは吐き出す。


「まるで呪いだね」






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