オリジナル創作の小ネタ置き場
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月宮夫婦
それは中々寝付けない夜のことであった。
すっ…と瞼を開け闇夜に視線をさ迷わす。天井、照明、隣で眠る夫。その横顔と静かな寝息に麗は小さく細い息を吐いた。
時たま、眠気を感じぬ夜が麗にはあった。良くも悪くも自身の感情や環境に影響を与えたときはその起伏の余韻を冷ますことが出来ぬことがある。
そういう夜は毎度決まって夜空を見る。そうしていると心が落ち着いてくるから。
「(…今宵は冷えているから、月も優美なのかしら)」
体を起こして一度嵐の様子を伺う。
熟睡していて起きる気配も無いのでそれに微笑んだ麗は布団から抜け出し、枕元に畳んでおいた羽織を肩に極力音を立てないように寝室から出た。
冷えきった空気に肩をすぼめ邸の廊下を忍んで歩いても、小さな軋みが付いてくる。
きし、きし。
二人で過ごすには広すぎる邸ではあるが、それに見合う立派な庭がここにはある。それは四季折々、それぞれの顔を持ち、冬の今でもそれはそれは美しい。
縁側から草履を引っ掛けて庭から空を見上げるとぽっかりと浮かぶ弓張月がそこにあった。
「(まぁ、星も美しい)」
吐き出す白い息が闇に溶ける。寒さは厳しいが空は美しく清みきっていて、この時期ならあの星座はあそこかしら、と空を彩る星々を指でなぞるのが面白い。
月宮家に生を受け、月の名を授かった。
由緒ある家の一人娘としての身の振り方や教養、教育を受けてきた。幼い頃から身体が弱かった麗は自由奔放な幼少期とはいかなかったし、文字通り箱入り娘のような生活を送っていたが両親の憂慮を思えばそれも仕方ないかと諦めていた。
もちろん辛いこともあったが、その時は空を見上げ月や星を眺めたり琴を爪弾いてる内に自然とざわついた心を落ち着かせていった。夜の空気も琴の音も、心地好いものだ。
そして数多の中で出会えた唯一無二の存在、嵐と共に歩むと決めた人生。
幸せがしっとりと沁み渡っていく感覚はむず痒くもあたたかく、穏やかなものだ。
しかしちくりと心を刺激する。
新年を越えれば24つとなる麗は自身の腹に手を宛がった。
今日眠れなかったのはこれのせいね。
自嘲するように歪んだ顔を伏せ、ふぅと吐き出したのは重い溜め息。籍を入れ夫婦となって5年、麗は未だ子宝に恵まれないことが不安で仕方がないのだ。
嵐は「焦る必要は無い」と麗の不安を払うようにその腕で妻を抱き締める。その気遣いが、優しさが、時に辛い。
肺を患う身体への負担と、互いの愛の形。愛する人の子を宿せぬ身体を恨んだ日も多く病を抱えた身体でそれでも身籠ることへの望みは、歳を重ねるごとに薄れさせる。
「(とうとう、お医者さまにも、言われてしまった)」
今日の定期診察時に、妊娠・出産の負担を考慮した謂わばタイムリミットを宣告された。
現実を受け入れる覚悟はしてきた。だがいざ直面するとその覚悟も砕けた硝子破片のようにで麗自身を追い詰める。…嵐には、まだ伝えられてはいない。
あと、たった1年──とても短い期間、その間に果たしてこの身体に命を宿せるのか……つい時間を忘れて物思いに耽っていたとき、
「───っごほ、……っ」
きん…と冷えた空気に、喉の奥が震えた。
麗の咳嗽は静まり返った邸の庭に響き、その大きさに思わず息を潜めてしまう。
──ああ、起きてしまったかしら
やってしまったと肩越しに邸を見やると、直ぐに襖が開き揺らぐ大きな影。灯りは無いから表情は見えなかったが、その影の強張った肩が安心したように下りる。
「麗」
夜の庭を、落ち着いた声が満たす。たった一声だけで麗の心を揺さぶりもするし平穏を取り戻しもする欠かすことのできない存在だ。
縁側へ踏み出す嵐に「今戻りますから」と声を掛けた麗は最後に月を見上げ砂利の上を戻る。草履を脱ぎ嵐の手を借りて縁側に上がれば、小さく嵐が息を吐いた。
また心配させてしまった。
「ごめんなさい、起こしてしまって…」
「構わん。咳は…辛いなら薬湯を用意するが」
「調子は悪くないの。偶々咳き込んでしまっただけで」
大丈夫よ、と笑う麗の青白い顔を見詰める嵐は少しだけ眉をしかめる。
冷えきった麗の頬に手を添えて流れるように優しく髪を梳く仕草は、彼の癖。今を確かめるように、彼女を確かめるように。妻の病に関して本人以上に過敏になってしまっているのだ。
そのことに、麗はもう一度「ごめんなさい」と細く吐き出した。
嵐と共に寝室に戻ってきた麗が見たのは、整えられた己の布団と寄り添うように並べた隣の乱れた布団。撥ね飛ばしたように捲り上げられたそれに夫の焦りを無言で訴えているようで申し訳ない気持ちで悲しい。
何も言わずに掛け布団を整える嵐を、すっかり暖かさを失った布団の隣に腰を下ろして眺めていた。横になろうとしない麗に「眠れないのか」と声を掛けてきた嵐の顔を見詰めた。
切り出し方に、戸惑う。
それでも黙して揺れる瞳は雄弁だった。
「ねえ」
「ん?」
「…一緒に、寝てもいいですか?」
「ああ」
少しだけ、震えた声。何も言わずに、嵐は麗の体を抱き寄せる。寝間着の上からでも感じ取れる確りとした体幹に体を預け、回された腕の優しさに目頭が熱くなった。
ごめんなさい、こんな身体で。
以前、ぽつりと溢したこの言葉に、強張った嵐の顔が閉じた瞼の裏に浮かぶ。
彼の子を、宿したい。
胸板に頬を寄せると、とくんとくんと響く命の音が寄せては返す波音のよう。
平らな腹の上で白くなるまで握り締めた手と共に体の力を緩めて、今はただ、愛する人の体温を感じていよう。
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