オリジナル創作の小ネタ置き場
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龍神と従者。
――これは、深い
目の前の男を包む闇に、金の瞳を細めた。
こちらに背を向けていて顔が見えなくとも同じ魂を持つものだとすぐに分かる。ゆらゆらと闇に遊ばせる似紫の髪の先がどす黒く溶けて……
全てを拒絶するように己の体を抱き込んで項垂れる姿。
――お前は
口を開けど意味を持つ音は出ない。
それでも、闇に囚われる男の背に問いかける。
――“光”を、失ってしまったか
がたん。
手からすり落ちた簡が卓にぶつかる音で、エンの意識が戻された。
目の前には龍国の水路に関して書簡に示された古い図面。その隣に真新しい紙に記された新たな水路予定図と几帳面に添えられた注釈。
「エン様?」
頭上から降ってきた怪訝そうな声にゆったりと顔を上げると、そこには従者のランスが書簡を抱えて立っていた。
ああ、そうか。今は老朽化した水路の新設について話をしていたのであったか。
どんな些細なことでもこの国に手を加えるのならば神の許可が必要だ。生命の源―水を司る神として、龍国や下に住まう人間たちへの水流を生み送り出すのも神の仕事である。この土地で人間には想像も出来ないような時の長さで何代も受け継がれてきた神だが、長きに渡って使われ続ける設備に鈍るものも出てきてしまうのは仕方ない。
「ご気分がすぐれないようにお見受けいたしますが……いかがなされましたか」
表情の変化が乏しい従者だが、付き合いも長くなれば些細な変化も受け取れるようになるものだ。気遣うような落ち着いた声色に、瞼を閉じたエンはゆるゆると首を振る。
「いや、問題ない」
「……はい」
目の前の男が、言いたいであろう言葉を飲み込んだのも分かる。
エンの不調を神の力を維持するために捧げられる供物……贄巫女の影響ではないかと思っているのだろう。
今までも、時には遠回しに、時には直接な言葉で贄巫女の件を告げられてきた。気紛れに生かし続ける時間に意味はあるのか、と。その度に高々数年力を得ないだけで零落れているような奴に神が務まるわけなかろうとはぐらかしていた。苦い顔をする従者を無視して。
しかし、形式として最初に贄巫女の髪は喰った。
従者の妻が「女の髪には、力が一番込められやすいのですよ」と、すっかり短くなってしまった贄巫女たちの髪を悲しそうに櫛で梳かしているのを見たな――などと水路の設計図に視線を落としながら、エンは全く関係のないことを思い出していた。
「それでは、この内容で始めるよう指示しておきます」
「ああ」
淡々と報告された要件に頷けば、乾いた木が擦れる音を最小限に手早く書簡を片付けていくランスの長い前髪が表情を隠す。あっという間に卓上を整理し数筒の簡と作業書を抱え上げ退出の言葉と共に深々と腰を折った。揺れる長い髪と遠ざかる背中。
無言でそれを見つめていたエンの瞳に、先程の記憶が思い出される。
「待て」
その背に短く言葉を掛ければ、直ぐに振り返ったランスが返事をして律儀に戻ってくる。
どうしたのかと言いたげに龍神の前まで来たランスだったが、じぃっと己の顔を見つめてくるエンは何か考え事をしているのか黙ったままだ。
エンの言葉を待つランスも無言のまま、しばらく互いに見つめ合う微妙な時間が過ぎていく。
そして少しだけ間を置いてから、自分の顎に手を当てたエンは
「ランス。お前のこの後の予定は全て取り止めだ。帰れ」
「……は?」
などと、真顔のまま脈絡も無く言ってのけたのだ。
ランスはとても聡明な男だ。
龍国二神の片割れであるエンの元について早何十年。今では右腕のようなものであるし、あまり多くの言葉を交わさなくとも阿吽の呼吸で物事を進めてこれた。相手の意図を汲み取り先に動きだす、そのくらいのことが出来なくて龍神の側にいられるものか。とある程度は自負し、そして誇りをもって仕事をしてきた。
だがしかし、たった今告げられた言葉の意味が全く分からない。
まだ頭上には陽がさんさんと輝いてる。仕事の時間は折り返しどころか、新たな水路建設における下の者と打ち合わせが待っている。むしろ暫くは仕事漬けになり家には帰宅できそうにもないと思っていたのに、この状況で、帰れ、と言われた。
何か問題を起こしてしまったのか。
無表情の下で高速で記憶を辿るランスを他所に、エンは徐に立ち上がるとさっさと部屋を出て行ってしまった。思考の海で溺れていたため反応が遅れたランスもエンを追うため慌てて踵を返すがその間も脳は稼働させる。
侍女たちが廊下の端に寄り頭を垂れる中、歩みを止めない神の背を追った。もう彼の中で先程の話は終わってしまっているようでランスには気も止めずに進んで行ってしまう。
「エン様」
手に持った書簡をどうこう考えている暇もなく暫く後を追うように移動していたが、宮殿と後宮を繋ぐ橋の上で漸くエンの足を止めることが出来た。助かった、この先には俺は入れないとランスは安堵する。
時間帯と場所が場所なだけあって周囲に人気は無く、橋の下で穏やかに流れる水の音が二人の間に響いていた。
「ランス。お前は自分の妻と子をどう思う?」
今日は一体何回 目を剥けばいいのだろうか。
エンの口から飛び出したのは、何故か自分の家族についてであった。
龍神に仕えるようにと少年の頃に奉公に出され過ごしてきたこの宮殿で妻とは出会った。同じように龍神への忠誠を誓い、妻は現在贄巫女の宮女として務めている。そして二人の間に設けた子も健康そのものですくすくと育っている。文字通り目に入れても痛くない可愛い可愛い一人娘。婚礼の時も出産の時も目の前の龍神から直々に祝福の言も受けたが、何故 今この話題なのだ。
「……とても大切な存在、ですが……」
ランスにしては珍しく歯切れの悪い言葉は、この会話が意味することやたどり着く先が不明瞭だからだ。
真意は何かと龍神を見るが欄干に手を置き水面を見つめる横顔からは特に感じない。
ランスの返答に特に反応が無いのは、言葉を間違えたのか、それとも彼の中でなんてことのない世間話の1つなのであろうか。
緩やかに吹いた風がエンの衣や髪飾りを揺らしている。
「そうか」
先程から会話の間があべこべだ。エンが一体何を思案しているのか、やはりランスには分からない。
こんなにも歯痒い思いをするのならば、思い切って切り込んでしまった方がいいのではと口を開いたその時――
「あの……」
「あ、エンさま」
ころんとした鈴のような軽やかな声。
橋の向こうからやってきたのはエンの贄巫女である少女と、その後ろにはランスの妻がいた。
エンの姿を見つけるや花が咲いたように綻んだ表情で小走りで寄ってきた少女・シロに、心なしかエンの雰囲気が柔らかいものになったような気がする。
「どうしたんですか? エンさまとお昼に会うのって久しぶりです」
「特に用はない」
「暇なんですか? お昼寝しますか?」
神に向かって遠慮なく言葉をぶつけていくシロに内心ランスはハラハラしていたが、その間 妻のセレナはたおやかな所作で礼を取り橋の隅で控えていた。長い睫を伏せているが口元は穏やかな笑みが浮かんでいる。そんなセレナに視線を動かしたエンが彼女の名呼ぶと、美しい蒼玉の瞳が神を見つめ返す。
「お前も今日の職務はもういい。夫と一緒にあがってよい」
そう言われたときのセレナがきょとんとした顔をするのも仕方がないことだろう。夫と、と言われランスを見てくるセレナに俺にもよく分からんと言いたげに少しだけ眉根を寄せた。
そんな二人をよそにエンは言葉を続ける。
「水路の件だが、別に今すぐ取りかからんでも壊れて使えなくなるわけでもないし問題ないだろう。明日からやればいい」
確かに水路は古くはなっているが、急遽修繕が必要になるような問題点はないしそうならないように日々点検はしている。そろそろ新設を考えてもいいだろうと思って動いていた仕事だった。
なので、指摘通り今すぐ着工するものでもないのだが……そう考え込むランスに追い討ちのようにエンは言う。
「今日の休暇は、俺の気紛れだ」
コウのとこに比べれば、このくらいの休みを設けても問題なかろう。
そしてエンは珍しく口角を持ち上げて小さく笑った。ランスの脳裏には二神のもう一人と、彼に振り回される同僚のことが思い浮かんでいた。
エンとシロとはあの橋の上で別れ、ランスとセレナは彼が抱えたままであった書簡を資料室に戻すために宮内を移動していた。
突如舞い込んできた半休に若干の戸惑いは残るが、龍神の気持ちを無碍にするような不躾なことは出来ない。有難く受け取ることにしよう。
この手元の荷物を片付けたら今日は大人しく帰る――そこまで考えて、そういえば最近は通常業務の他に水路の設計図や資料のまとめを行っていたので、我が家に帰るのは数日ぶりではないかと気付いた。
あんなに愛おしくて仕方ない娘をこの腕で抱き上げてもいないし、隣の妻と共に床へ入ることもしていない。
「なんだか、貴方と肩を並べるのが久しぶりな気がします。たった数日会っていないだけなのですが」
そんな夫の気持ちが伝わったのかどうかは定かではないが、ふふふと横で笑うセレナが嬉しそうに見上げてくる。白い頬を薄らと桃色に染め上げた表情に、胸の奥が締め付けられるようだった。
「……すまなかった」
「いいえ、私たちは龍神様にお仕えしている身ですわ。お気になさらずに」
首を傾げればさらりとセレナの長い髪が揺れる。
先程眺めていた水面のように美しく揺らぐ一房を手に取るのは自然な流れで、髪に唇を寄せれば鼻腔をくすぐる香りに癒されていく。
「ミコはどうしている?」
「今日は水見師さんのところに預かってもらっていますわ。一緒に迎えに行ってあげましょう」
ミコ、喜びますよ。そう笑ってたどり着いた資料室に入っていったセレナにランスも続いた。
「エンさま、今日はなんだか悲しそうです」
橋の上で夫婦を見送って、その背が見えなくなってからぽつりとシロが零す。
「悲しいときは、悲しいって言ってください。私、役に立たないだろうけど、一緒にいます。一緒にいると、あったかいです」
白百合の花びらのような手がエンの手を握る。そこには確かなぬくもりがある。生きているもののぬくもりが。
龍神に捧げられた贄巫女。いずれはこの少女を食らう時が来る。
それを別れと言うのだろうか。
伸ばした手がシロの髪を撫でる。さらさらと絹糸のような髪が指の間を滑る長さも、少しだけ、伸びた気がする。
――どうか、この世では“光”を見失うことのないように
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神が見たものは、妻と子を失い闇に囚われた男の姿だけ。
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